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アイヌの美
 京都文化博物館でやってる
「アイヌの美 カムイと想像する世界」っていう展覧会に行ってきました
という話をするのは、
昨日の今日なので、気が引けるのですが 書きます。

おもしろかったです。
アイヌの民族衣装とかにある
独特の文様のとがった部分が実は魔除けの意味があるという話とか
今まで、全然調べた事がなかったので
なんとなく面白いだろうなあと思いながら遠目で見てたのですが、
いろいろ間近で見てみるとやっぱり発見があります。

これは、純粋に今日の「おもしろできごと」だと思いました。

勝手に持論ですが、「民藝」を個人的におもしろがっているのですが
そういうのって、常民が暮らしのなかで最低限必要なことをやるために
つくった品物だから合理的で美しいみたいなことをよくいわれるし
ネット上で調べものするときによく読まれているであろう百科事典にも
そのような事が書かれているのですが、
ちょっと違うんじゃないのかなあと思っていて
それは、いろいろみてても「必要最低限」とは
言いがたい装飾がなされているものが
けっこうあって、そういうの見てる限りでは
けして華美ではない生活しかできないけれども、
「どうしても装飾したかった」っていう、
ちょっと合理的とかっていうのでは
説明しづらい心理があったのではないのかと思いますが、
どうなんでしょう。
(アニミズムが、今の人たちよりも息づいてる時代のことを
 今の感覚で語ってしまうと
 やっぱりギャップがあるように思うのですけれど)

夜には、ほぼ日のおおはた雄一さんの「同曲ライブ」をwebで見てました
2万人ぐらいがアクセスしてたらしくて、すごい途切れてたのですが
良かったです。

すこし、いろいろやると ちょっとだけ頭が冴えてきたように思います。
なので、そこそこ回復のために何をすべきかがやや見えてきました。

author:隈雨平, category:美術などについて。, 01:24
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公募推薦入試。
 ひさびさに2日連続で書くもので、
え、ちょっと書いちゃっていいのかな本当に・・・
というような、気持ちになっていますが
誰もとがめたりはしないよ。自分に言い聞かせて(実際そうだろうし)
今日も書く事にしました。
明日書くかはわかりませんが。

で、今時分はちょうど
京都の美大では公募推薦の季節だなあと。
「美大系よもやまラジオ」なんてやっているものですから
こういう事にもちょっとは触れたりしたらいいと思って。
ラジオのほうのブログを見るとよくわかるんですが
サイドバー(?)に勝手に貼付けられてる広告が、
美術予備校、画塾ばっかりでびっくりなんですが、
「美大系」とか言っちゃたら、まあ、そうなるといえばそうですよね。
子どもの頃から近代以降の美術の事を美術だとばかり思ってワタシ
美術系に行こうと思ったものですから、
そういう美術予備校とかに行ってデッサンとか教えられて
最低条件として、最初は絵が上手じゃないといけないわっていうのを
教えられて、えーって思ったんですが、
最近のそういう大学の受験の倍率なんかを見てると
子どもの数がそもそも減っているから
すごく低くて、
本当に誰でも受かりそうな感じになってて
実際、誰でも行けるっていう状態の美大は既にあったのでしょうけど
今は、誰でもいけ具合がひどい感じになってるんじゃないかと
推測してるんですが(実際はどうかは知らないですが。)

そうすっと、予備校とかでもそんなに熱心に教えなくて良くなるので
下手を下手なまま許せるっていう状況がどんどん増えていって
「誰でもピカソ」状態になるのでは、
(言葉通りの意味ではないですよ。なんとなく二周か三周ぐらいした
 よくわからないものが混じっていますよ。
 詳細については、まあ よもやまラジオとかをたくさん聞けば
 ニュアンスはつかめると思います。)
無いかと思い。
逆にそれは、いいことなんじゃないのかなあと思います。
今の美術にとって「基礎がある」っていう考え自体が
もうほとんど悪い意味での「eco」ぐらいヒドいものに感じるのですけどね。

そういう話を今月のよもやまラジオではやろうと思っています。
(まだ録ってないのですよ。あした出演者つかまればいいのになあと)
author:隈雨平, category:美術などについて。, 00:13
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ものすごく眠いです。
珍しい時間に更新しています。
ねむいです。

昨日のトーチカさんのトップランナーは、
やっぱり面白かったです。

たまに、YouTubeでPiKAPiKAの作品を見るのですが
見る度に、わあ 楽しそうやなあと思います。
あの感じは、実はなかなか出せないものですよねえ。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 06:19
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インシデンタル・アフェアーズ。
サントリーミュージアム天保山で行われている
「インシデンタル・アフェアーズ」という展覧会に行ってきました。
やー、面白かったですよ。

やったはる側も言うたはる事なんですけど、
やっぱり関西では、現代美術をちゃんと見れる機会がとても少ないと思います。
京都を中心に美大わりと、ぎょうさんあるのにね。
実際、東京の人らと話してて
なんか美術直接やってないひとでも
インスタレーションとか好きで、よく見に行くよー っていう人と
よく遭遇してたので、なんとなく感じてた事ではあったんですがね。

内容は、ほとんど全ての作品がわりと取っ付きやすく面白いと思いました。
なので、全体を見終わった時にけっこう満足感もあり
ああ面白かったなあって言って出てくる感じでした。
普通に、エンターテイメントやんかーと。
サントリーミュージアムの横の海遊館で
ゴールデンウィークやさかいに人多すぎて
雨やのに外で待ったはる人らはその間に
こっち見はったらいいのに、へへへっ。
っていう、下世話な冗談もしれっと出てきやがるほどでした。

作品で面白かったのはいっぱいあるんですが、
小出しに感想を書いていくと
田中功起さんの「everything is everything」という作品で
なんか、モップとかバケツとかビニールのなんかとか
スーパーマーケットに売ってそうな日用品がフロアーに散在してて
そのなかにブラウン管テレビが何個かあって、
そこで、その日用品たちを使って行った「瞬間芸的」なパフォーマンス
(美術館のキャプションによると。)の映像が
繰り返し流されてます。
例えば、くるくる巻きにしたマットが戻る瞬間とか
ゴム長靴が逆さまに立てられていて、それを押すと
支えてた柔らかい部分が変形してへにゃっと倒れる瞬間などです。
それが、何パターンも繰り返されている。
それらの映像を一通り見終わってから、
まわりに散在している日用品たちを見ると
どうも動いて見えるわけです。(個人的な感想ですが。)
力を加えるとこんなふうに曲がるのだろうとか、
叩くとこんな音がするのだろうとか、
この端っこを勢い良く押さえてやれば、てこで跳ね上がるのだろうとか
動いていない、ただ置かれているだけのものに
動きを感じてしまう。
(実際は、整然と並べたりしない事や
 プラスティックの派手な色彩のものを組み合わせる事で
 動的に見せるという工夫はかなりほどこされていると感じましたが。
 いい意味で。)
そういう目を持つと、作品として並べられているもの以外にも
ありとあらゆるものに、自分が触れた時
どんな反応があるのだろうかと想像せずにはいられないわけです。

現代美術っていうのが、コンテクストの組み替えをやって
おもしろいでしょうっていうのをやることだとしたら
圧倒的に正統派やし、
プリミティブな作品。(既製品を使ってるっていう意味でも。)
だからこそ、ストレートで面白いなあ というふうに第一印象で思いました。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 00:56
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涙について。
所用で「涙」についていろいろと調べています。
そのなかで、
脳科学者の茂木さんと小説家の重松さんの
対談本で「涙の理由」というのがあるんですが、
それを読みました。

そのなかで、美術(絵画や彫刻など)の感動(衝撃)と
小説の感動(衝撃)っていうのは、どうもちがうらしいと言う話を
してはって、詳細は まあ 読んでもらうとわかるんですが、

そのなかで、
美術の衝撃は生きることに全く役に立たないどころか
むしろ毒として作用してしまうようなこともある。
で、
美大生含め、美術に関わるひとって
それを自分の人生にどう着地させていいのか
わからなくて、迷い道に入っているんじゃないかって
茂木さんが言ったはって

小説と美術の違いっていう文脈のなかで言わはったんですが、
どうも小説をデザインに置き換えてみても
ある程度話はつながるような気がしました。
作るっていう意味では、ですけど。
(本を読んでもらうとわかることなんですが、
 逆に読まないとわからないことを書くのですが。)
「生活」や「ターゲット」っていうのが、
デザインをする上で大事だという事が、
美術の持っている「毒」が無いっていうことだと思います。

や、
今 わりと面白い事に気付き始めたのではないかと
1人でテンション上がり気味なんですが、
もう少し時間がある時にまたちゃんと書いて考えたいと思います。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 00:25
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ラジオの時間はもうすぐ。
新しく始める(はず)のポッドキャスティングの
ロゴを作っていました。
どんなものかは、まあ 始まってからのお楽しみですが
なんていうのかなあ
前のロゴというか、くまの巣全体に流れる「あえて」な空気といいますか。
つまり、ダサイっていうのとまあこれはありやなっていうのの
境界線を探ってくようなビジュアルの方向性っていうか ね。
今回もそんなかんじでやります。
っていうか、もう やってること自体がかなり微妙なラインなので
今の体裁を保ちながら、なんか抜けた感じになるにはどうしたらいいんやろうって
いっつも考えてます。(嘘です。たまにしか考えてないです。)

今週中に準備やって、来月には 始まってればいいなと思います。
そんな感じで。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 01:27
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そんなかんじ。
友達の展覧会(グループ展)に行ったら
(友達とはなんぞや、ということはワタシの中で
 微妙に揺れ動く概念ですが、今は便宜上そう言う表現で。)
(って言ったら、お前ホントに失礼なやつだねって
 友達に言われたっていうそんな感じなんですが。)
なんか、別ルートの人で 自分ら知ってたのかよっていう人が
同じグループ展のメンバーで、驚いた。
っていうのを一昨日経験しました。
で、(月並みですが)世間は狭いなあと思ったのね。
でもなんかそれは、
別に悪い気はしないなって思いました。
というのは、そうやって
似てるのか似てないのかはわからないけれど
なんとなく同じような環境で、同じような人たちのなかで
なんか色々考えたりしながら、絵かいたりモノ作ったり
よくわからなくなったり、楽しかったり
っていうのをやっててさ、
それをみてふわふわしてる とか、くだらないよ とか
っていぶかしげに見る人もいるかもやけど、
こういうの悪くないっすよって言った方がいいんじゃないかって。
もっというと、
美術とかっていうものも、けっこう ざっくりこんな感じで
いいんじゃないかと思いました。

そこで、「くまの巣」の新しいコンテンツを思いつきました。
まあ 結局またネットラジオをやる訳ですが
その 美大のそんな感じを ね。 テーマにします。
そう遠くない未来にまた報告できるかと思います。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 00:46
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フェティッシュの劇場。
「開運なんでも鑑定団」を見ていると
「アーティスト症候群」で「フェティッシュの劇場」と言うてはったんが
言い得て妙やなあと、つくづく思います。

なんていうか、
ワタシの部屋には本棚と机の上にMacがあるだけで
モノがほとんどない部屋で
「コレクション」というものがない。
つまり、その部屋の住人には「コレクター」になる気質がたぶん無い。

(しかし、まあ このブログのエントリーが一ヶ月間1日も途絶えることが無く
 カレンダーの全ての日付が太字になる。というようなささいなコンプリートに
 意外と喜びを感じてしまうので、
 完全にその気質が無いとはいわないかもしれませんが
 や でもそれは、モノに対しての執着というよりも
 数字や概念に対しての執着の方なので、
 やっぱりその気質はないのだろうという結論に今至りました。
 とはいえ、その結論は所詮括弧内のできごとなので
 後述するーーはずのーーことがらとは関係ないことですが。)

だもんで、あそこに出てくる人たちは
美術などの「作品」に日常接する(物理的にも、精神的にも)という意味では
共通していますが、接し方は全然ちがう、
だからこそ 筆者の大野さんは冷徹なまでに客観的に見たはって
出て来た表現が「フェティッシュの劇場」。
線が引かれている。

本当は、モノに癒されるのならそっちの方がよかったかもしれない
と何度思ったことでしょうか。
(や、口角を右片方だけつり上げるカタチの表情の時だけですが。)
モノで自己承認されるんなら、てっとり早いよなあ、と思って。
うん。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 00:58
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パート1。
兵庫県立美術館で金曜日から行われている
「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展に行ってきました。
20世紀の初頭と言うと、社会が産業かして
モノを大量生産するようになったもんで、プロダクトデザインの原型になるような
考え方ができて、実際にデザインされたものが作って売られていきました。
そういう時代に、美術の人は何考えてたんだろう、というのは
とても興味深いこと、というか わりと最大関心事のひとつです。

展覧会のタイトルにあるパウル・クレーという人は、
バウハウスの人なので、ダイレクトなんですが。

ざーっと見てて思ったのは、
キュビスムってなんでやらはったんやろうということでした。
フォーブのあとにキュビスムというのがあって
ピカソとかブラックとかが、モノを多方向から見た様子を一つの画面の
なかに再構成する、という絵を描いてた ということは
みなさんご存知の通りだと思いますが、

なんで、彼らがそういうことをしようとしたのかというと
モノ自体の存在を描きだすためには、たぶん一方向から書いただけじゃ
足りなくて、全部の方向から見ないと
そのモノを表現したことにはならへんやんって言ってやらはった
ということらしいです。

でもやっぱり
いろんな方向から見たのを組み合わせると、
「普通に自然に」見たものとは全然違っていて、
モノを書きたかったのに、やればやるほど抽象的になってきちゃった、と。
で、最終的には
モノ自体をカンバスに貼付けるっていう
アサンブラージュまで行き着く訳です。

なんか、それらを見た時に
最初は、
アフリカとかの機械的遠近法が無い世界の絵の書き方をやることによって
西洋的ないろいろなものを振り払おうとしたけれど、やっぱり無理かも・・・
という黎明期な感じというか、うちら途中ですみたいな、
っていう感じがして
ワタシは、片方だけ口角をあげるカタチで笑みがこぼれました。
つまり、面白いなと。

ええっと、この話はもう少しつづく。
author:隈雨平, category:美術などについて。, 00:41
-, trackbacks(0), pookmark
昨年の20倍。
そうか、そうか。
昨日、鼻水が滝のように流れ散らしてどうしようもなかったんですが、
ヒノキのやつが去年の20倍も飛んでるらしいですね。
や、新聞のTV欄のニュース番組の見出しだけの情報なので
もしかすると、間違っているかもしれませんが
カラダ的には20倍というのも納得です。
これ6月ぐらいまで続くんやわ。嫌やなあ。

どうしよう。もうちょっと書きましょうか。
や、四月からは短めでいこうと決めててたんですが
さすがに7行では不安なので、もう少し書きます。

ええっと
今日考えかけてた事は、
(考えかけなので、答えは出ていないというか
 「かけ」っていうのは、つまりやってないっていうことなんですがね。)
ロマンティックっていうのは、厳密にいうとどういうものなのだろうか。
ということで、
まあ、前述括弧内にあるとおりそんなに考えてないんですが
わりと、最近はぼんやりと考えていて
ロマンティックの辞書的な意味もはっきりとは調べてないぐらい
ぼんやりとしか考えていないんですが、
(今調べました。だいたいわかりました。)
まあ、辞書的な意味はいいや。
ええ、今からは
比喩としてのロマンティックということを考えるということにしました。
(つまり、今から書く事はフィクションというかでたらめ、という事です)

なんか、結局ロマンティックっていうのは
主観の問題なのではないかなと、考えます。
わりと自分の中で大きい問題として、
現代美術は、多くの人にとって
ロマンティックでは無いんじゃないか
っていうのがあります。

そう思ったのは、なにが原因かというと
現代美術は、すごく伝わりにくいことをやっているような印象がある、
ということです。
ワタシ自身は、好きでおもしろいなあと思いながら
いろんな作品を見てたんですが
これって、結局こういうのを好きな人たちっていう
すごく小さい輪の中だけで楽しんでいるだけのモノなんじゃないか
という疑問がわき始めると、
どんだけアバンギャルドとかハプニングとか言ってても
(今はもっと違う言い方したはるけど、角が立つので例にはちょっと。)
とがればとがるほど、伝達する力はトータルでいうと弱まってるんじゃ
ないのかと思えてきました。

そう考えると、
19世紀の美術のほうがロマンティックだったというのはもちろんの事
商業美術と揶揄される「デザイン」の方が、
伝達するテクニックに於いては優れているという意味では
ロマンティックなんじゃないのかなあ と。

や、
ごめんなさい。
いつにも増して、わけわからないこと書いてますね。
まとめると、
「多くの人が何も考えずに、受け入れてしまうようなモノあるいはコトを
 仮にロマンティックと表現してみる」
という話でした。
ちょっと、消化不良気味なので明日に続きますが、
多分明日は今日よりまとまってないと思います。




author:隈雨平, category:美術などについて。, 01:53
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