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許すか許さないか。
 よもやまラジオ1月分、
ようやく編集できました。
明日から、再会していきたいと思います。
ちなみに、12月はお休みさせていただきました。

たまたまTVを見ていたら
刑事事件の裁判のニュースに対して
コメンテーターの人が、

被害者や遺族が本当に救われるかどうかは、
彼らが、加害者や犯罪というものを
「許せる」かどうかで、
そこをなかなか「許せない」と
いつまでも苦しみの中から逃れられないのだと思う。

というようなことを言ってはって
中身は、だいたい合ってるとワタシは個人的に思いますが、
こういうことをなかなか人前で言えないでいました。
というのは、

いつまでも「許せない」人に、許したほうがいいよ と
諭す事は、その人に対して
心が狭いと言ってるのに近いような
屈辱的な感情を与えてしまうのではないかなと思ってたからです。

そんなふうに思ってしまわはったら、
言われた側は、踏んだり蹴ったりです。

「許せない」のは、心が狭いのではなく
恥ずかしい事でもなんでもないとおもいます。
だけど、「許せない」心が納得するためには
全ての人が「自分の許せないもの」を
「悪扱い」するぐらいのことが必要になってきます。

だけど、「許す」は自分の心一つだけでできます。
そのためには、別に菩薩のような広い心は必要ないと思います。
「許した方が圧倒的に楽」という
ただの利己的な感情だけで、許しちゃえばいいのです。

って言ってもなかなか難しいのですけどね。

(だいたいワイドショーみながら考えることは、
 こんなようなことですよねえ)

author:隈雨平, category:なんとも分類しがたいはなし。, 23:30
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