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講義録。
 「カイエ・ソバージュ」という
中沢新一先生が大学で講義しやはったのをまとめた本があるのですが、
いまさらながら初めて読んでみて、
すごく面白いです。まだ、最初の巻しか読んでないんですけど
どうやら続けて読みそうです。

(ワタシでは、上手く説明できない危険性をかえりみず書きますが)
神話のはなしで、
話の軸になるのが、媒介者で
例えば、死の世界と生の世界とか
男と女とかっていう
対立するものは、ふつう繋がっていないですが
それを媒介するものが神話の中には出てきて、
人間は繋がりようの無い世界を媒介者の力でつなげてきてて、
そもそも人間の思考の根っこの部分は、
こんな風に物事を分別することではなくて、
共通点を探っていく想像力なんだと。
(言ってはるように、とらえたんですがどうでしょうか)
(どうでしょうかといわれてもこまるでしょうが)

あんまり言及できないですが、
そういうことを頭において作品(仕事じゃなくて。)は
つくっていくことになるのだろうと思いました。

author:隈雨平, category:-, 23:59
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なぜ人は絵を描くのか。
 昨日の話になりますが、
NHK教育のETV特集で
日比野克彦さんがサハラ砂漠の遺跡まで
壁画を見に行かはるっていうドキュメントがやってて
それのタイトルが「なぜ人は絵を描くのか」でした。

実は、遺跡とかに興味があるので見てました。
っていうか、なんで人は文化的な生活を送るのだろうとか
なんでそもそも芸術というものを生み出したのだろう
ということが気になって仕方が無いというか。
アルミタラとかラスコーとかは見に行ってみたいとおもいます。

番組で、砂漠を旅したはって
車でビューンと走ってたら
昔砂漠にまだ緑があって人が生活してた頃の石器が砂の中から
顔を出して、そのとき食べてたであろうダチョウの卵の殻とかが
砂の中からサーッと姿をあらわしたりする映像を見て
涙すらでてくるというか。

京都は、1000年そこそこなので
ああいうふうに万でこられると現物見たらヤヴァいと思いました。

その時代の人が何のために絵を描いてたのか
少なくとも
「狩りのために図示」ではないっていうのが
ワタシたちが少なくとも直感でわかる事ですが、
そういう昔はあったけど現代にはほとんどなくなってしまった
心の動きを失ったコンプレックスをもっている
ワタシにとっては、この問題が
おもしろ手出しにくいっていう妙な感じです。

(や、これぐらい薄めて書かないとヤヴァめな感じになっちゃうので)
author:隈雨平, category:テレビについて。, 23:40
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遅々として進まず。
 やらなきゃならないことは、あるのですが
遅々として進まず。

うーむ。考えすぎて進められないという事もあるので
0よりも0.1のほうがまだましっていう発想でやっちゃおうと
思いました。

今日のNHKスペシャルは、見てておもしろかったなあと
家電とか中国である程度の品質のものが
日本よりも安価で作られて日本の企業やばいでっていう
最近の経済ニュースとかでよく言ってる内容なんですけど。

あらためて思った事は、
家電やなんかに関して言うと
下手すると「高品質」「高機能」っていうことは
さんざん言ってる「付加価値」にならないんじゃないかという事で。

消費者が「もういいや」ってなってるのに
誰もやめようとしないのは、ほんと
なんでなんやろうね、と思いました。

や、「誰も」ではないですね
そういうパラダイムから抜け出した人たちは
おもしろい製品やサービスを生み出したはりますね。




author:隈雨平, category:テレビについて。, 23:50
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よもやまラジオ更新しました。
約1ヶ月半ぶりぐらいになりますが、
1月分のよもやまラジオを更新しました。
ぷっつさん編ということで、
part1「スーパー賢者とお金と不倫」
part2「スーパー賢者と禁断の果実」の2編をアップしました。

この地味な活動も、半年はすぎたので
なんやかんやで一年になる訳ですが、
ぱきっとはしないなあと思ってるのですが、
地味にやる気出してやっていきたいなあと思ってます。

2月分はまだ作れていないですが、なんとか間に合うように段取りつけて
やっていきたいと思います。
author:隈雨平, category:よもやまラジオについて。, 11:33
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許すか許さないか。
 よもやまラジオ1月分、
ようやく編集できました。
明日から、再会していきたいと思います。
ちなみに、12月はお休みさせていただきました。

たまたまTVを見ていたら
刑事事件の裁判のニュースに対して
コメンテーターの人が、

被害者や遺族が本当に救われるかどうかは、
彼らが、加害者や犯罪というものを
「許せる」かどうかで、
そこをなかなか「許せない」と
いつまでも苦しみの中から逃れられないのだと思う。

というようなことを言ってはって
中身は、だいたい合ってるとワタシは個人的に思いますが、
こういうことをなかなか人前で言えないでいました。
というのは、

いつまでも「許せない」人に、許したほうがいいよ と
諭す事は、その人に対して
心が狭いと言ってるのに近いような
屈辱的な感情を与えてしまうのではないかなと思ってたからです。

そんなふうに思ってしまわはったら、
言われた側は、踏んだり蹴ったりです。

「許せない」のは、心が狭いのではなく
恥ずかしい事でもなんでもないとおもいます。
だけど、「許せない」心が納得するためには
全ての人が「自分の許せないもの」を
「悪扱い」するぐらいのことが必要になってきます。

だけど、「許す」は自分の心一つだけでできます。
そのためには、別に菩薩のような広い心は必要ないと思います。
「許した方が圧倒的に楽」という
ただの利己的な感情だけで、許しちゃえばいいのです。

って言ってもなかなか難しいのですけどね。

(だいたいワイドショーみながら考えることは、
 こんなようなことですよねえ)

author:隈雨平, category:なんとも分類しがたいはなし。, 23:30
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そういえば。
 そういえば、「ゼルダの伝説大地の汽笛」をあそんで
一応やり終えて思った事があったので明日書きます。

って書いてたのに、
翌日には、完全に違う事が書かれていました。
このブログは、そこかしこに嘘がちりばめられたブログです。
「明日やります」とか「近いうちに」とかっていうのは
ほぼ守られた事がないように思います。

・・・・・・。

新しいゼルダに関して言うと、
個人的な話になりますが、というか
個人的でない話はできなくて、
全ての発言がポジショントークでしかないのですが

うっかり、遊び方を間違えてしまったなあというのが
正直な感想で、
あんまり何日もゲームばっかりしてるのもよくないだろうからと
おもって、一心不乱に最後のちょっと手前ぐらいまでだーっと
いってしまったのですが、
このゲームは主人公が汽車にのって冒険して
汽車には客車と貨車がついててものや人をはこんだりできます。
で、本筋とはあんまり関係ないところで
街の人に何かを届けたり、あるいは人を運んだりするイベントが
用意されていたのに、
一心不乱にダンジョンを進めてしまったものだから
最後の最後の直前ぐらいまで
こういう楽しみがあるゲームなんだということに
気づかないまま進めてしまって
結局、本末転倒な遊び方に。
(やるひとの、心持ち次第で遊びの質ががらっと変わってしまうのが
 ほかのメディアと違う部分で、そこがいいともいえるし
 受けても、送り手もそこがやっかいな部分だともいえます。
 映画だと2時間なら2時間とわかるのですが
 ゲームは、パッケージを見てもわからないので)

「自分の娯楽は自分で守らなきゃ」だなと思いました。

その分
年末に出たマリオは、わりとゆっくり目にプレイして
気まぐれに、やりこみ要素に手を出したりして
反省をいかした形に。


author:隈雨平, category:-, 21:12
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絶望のための予防線。
 新年に入って、ブログをまた書き始めようとした理由が
絶望のための予防線だということが、
約一週間前に書いたんを見るとわかるのですが

最近、ロケーションとして気になっているところは「川」です。
わりと、昔から気になっていて
面白い要素は、うまってるんじゃないかと思っているのですが
(そういえば、昔撮ったコント映像は川岸に段ボールハウスを建てて
 やってたなあ)
なかなか、消化できずにいて
最近また気になり始めたものの、
最終アウトプットがよくわからなくて困っています。

というか、ワタシはいつも
最終アウトプットがわからなくて困っているような気がします。
ネットラジオという形式もちょっと疲弊しかけてるので、
スパイスを入れる事を最近は考えています。
author:隈雨平, category:-, 23:52
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一日空きましたが。
 むにゃむにゃした状態で何かを書き記すシリーズ。

新しいものを見て面白がることと
知ってるものを見て喜ぶこととがありますが

なるたけ、前者のほうが多いといいなあと思うあまり
知ってるものを見たときに喜ぶ事を自重してしまい
トータルでつならない、なら・・・

どうすれば良いんでしょうか。

むにゃむにゃ。

(や、書き出したのはいいのですが
 肩が重くてタイプが進まないっていう状況で。
 あしからず。)

(こういうことは、ツイッターでかけばいいのか。)
author:隈雨平, category:なんとも分類しがたいはなし。, 23:53
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ベンチが出そろう。
 いろいろなものが、出そろうと
一気に「日常」のようになってしまう気がします。

ワタシにとってはネットがありTVがあり
街があり、人があり(いて?)
予定があり、用事があり
時間がすぎ、一日がおわる といいいますか。

そういういろいろなものが、出そろうと
一気に「日常」のようになってしまうし、
言い方を変えると(ポジティブにいうと)
「日常」を取り戻したとも言える訳ですが、
同時に「ここじゃないどこか」を望んでたりもするので
なんとも言えない訳ですが、

カレンダーに予定をつめて
双六のマスみたいに、一個一個すすんでいくことは、
何にも無い、下手すると24時間だか1日だかっていう区切りも
あいまいなままの生活なんかに比べると
あまりにも気分が楽。
カードゲームに例えると、
毎ターン確実に山札を一枚引けるのか引けないのかぐらいの差が
あります。
(なにも、カードゲームに例えることはなかっただろうに)

そういえば、「ゼルダの伝説大地の汽笛」を
あそんで、一応やり終えて思った事があったので
明日書きます。
author:隈雨平, category:-, 01:38
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一応一週間。
 再び書き始めてから、一応一週間経ちましたね。
いつ終わるかわからないという状況ではありますが。

「ほぼ日手帳」を長い間使っているのですが、
うっかり年末に注文するのを忘れていたので、
年明けて10日以上経ってから、今年の手帳を使い始めるっていう
出遅れた感のあるかんじになってしまいました。
つまり、10日ぐらいずっとスケジュールを立てずに行動してたわけです。
しかも、新しい予定が入っても書くところがないから
暗記するしかなくて(や、メモぐらいはしますが。)
なんというか、全体を俯瞰してみる事ができないのは
すごく心もとないことだと、思いました。

で、なんとなく手帳のカレンダー部分に
スケジュールめいた予定っぽいもので、かるく埋めてみたら
なんとなく気分が落ち着きました。

これ、いきすぎると良くない事だと思うのですが、
計画をたてたり、何かの目標値を日にちで割ったりすることって
なんかそれ自体がわりと人にとっては面白い事なのでは、と
いうことを考えていました。

だいたいが、あるたぐいのゲームというのは数字の足し引きの駆け引きで
行われていて、それに 世界観とかをくっつけてるので
あたりまえといえば、そうですが。

ちなみに、DSの脳トレだとかWiiFitというのも
実は、カレンダーとグラフっていう数字の増減が実は面白さのキモだったり
するのではないかなと思ってて、
そういう意味では、実はあの辺はかなり
ゲームらしいゲームなのかもしれません。

逆に、「どうぶつの森」とかは、主人公を動かしてアイテムとったり
集めたりして従来のゲームっぽい見た目ですが、
実は、プレイヤーをやる気にさせるような
数値的な目標をあんまり設定してないところが、
WiiFitなんかよりも、ずいぶんゲームじゃない遊びといえるんじゃないかと。

(ちなみに、ここではゲームっていう言葉をかなり限られた意味で
 使っているので、よそでこんなことしゃべってると恥をかくだろうから
 気をつけようと思います。)

author:隈雨平, category:ゲームについて。, 02:42
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